久しぶりの投稿です。最近のニュース記事などで児童虐待への対応について児童相談所と裁判で異なる行動基準があるという議論を見かけました。
今回は、これを第1種の過誤と第2種の過誤という科学的な検証で想定される2種類の誤りという観点で考えてみます。
第1種の過誤
第1種の過誤は、統計的仮説検定で見られる誤りの1つです。統計的仮説検定では、本来主張したい内容とは逆の仮説(帰無仮説と呼ばれます)を設定し、取得済みのデータが帰無仮説を前提とした場合にどれほどありえないのかを確率で評価します。社会科学領域では、典型的に5%という確率の基準を設定することが多くて、取得データから得られた統計値が得られる確率が5%未満である場合に、帰無仮説に無理があると判断(棄却するという言い方をします)をします。ここで5%という基準が0%でないことが重要です。つまり、実際には帰無仮説を維持するのが適切な場合でも、データの偶然が重なって確率的に5%未満になってしまうことがあります。すると誤って帰無仮説に無理があると判断することになるわけです。この誤りを第1種の過誤と呼びます。
第2種の過誤
上では「誤って帰無仮説を棄却する」と言いましたが、これとは逆の誤り、つまり「誤って帰無仮説を棄却しない」こともあります。もっと簡単に言えば、本来主張したいことが適切であるにも関わらず、データ上それを見落とす場合です。これを第2種の過誤と言います。
2種類の過誤のトレードオフ
第1種の過誤と第2種の過誤。どちらも誤りだからなるべく減らして適切な判断をしたいところです。でも、第1種の過誤と第2種の過誤はいわゆるトレードオフの関係にあり、状況が同じなら、第1種の過誤を小さくしようとすることは、第2種の過誤が大きくなることを受け入れることを意味します。言い換えてみれば、帰無仮説を棄却する誤りを減らしたいので、本来の主張の証拠の見落としを受け入れるという感じです。そして、トレードオフの関係なので、第1種の過誤と第2種の過誤のどちらをより優先させるかの判断が必要になります。この判断が以下の話のポイントになります。
児童虐待の有無に関する仮定
話をわかりやすくするために児童虐待を事例にする場合の第1種の過誤と第2種の過誤を少し具体的にしておきます。児童虐待を見つけるのは、典型的とは思えない児童の様子が重要なヒントになることがあるでしょう。つまり、児童の典型的な様子からの逸脱がないというのが上記で挙げた帰無仮説になります(本当は虐待があるならそれを主張したいわけです)。よって、第1種の過誤は、「実際には虐待にはあたらないのに虐待があると判断すること」になります。また、第2種の過誤は「実際に虐待があるにも関わらず、典型的であるという判断を棄却しないために、それを見落とすこと」になります。
児童相談所の立場
では、児童相談所の所員の立場になって、2種類の過誤のトレードオフについて考えてみます。児童相談所にとってもっとも避けたいのは、虐待の見逃しです。つまり、第2種の過誤をなるべく少なくしたいという判断が働いています。よって、第1種の過誤の上昇については相対的に許容せざるを得ないと想像できます*1。虐待の可能性が疑われる場合には、可能な限り検証を進める過程で、違うことがわかればそれはそれで良いかもしれないです*2。
司法の考え方
次に、警察や裁判所などの司法の立場で2種類の過誤のトレードオフを考えてみます。刑事裁判では「疑わしきは罰せず」という原則があるそうです。これは、司法として一番避けたいのは無実の罪、冤罪だと考えられます。これを虐待の例で考えれば、虐待でないものを虐待扱いすることをなるべく避けたいとなります。2種類の過誤で言えば、第1種の過誤をできるだけ抑えたいということです*3。
2つの食い違いが作り出すもの
ここまでみてきたように、児童相談所と司法では2種類の過誤のトレードオフについて、異なる優先順位をとる可能性があることを考えてみました。仮にこれが正しいとすると、児童相談所と司法とでは、証拠の採用の仕方が若干異なるということも想像できます。児童相談所として疑わしい事例があり、それを司法と協力しながら解決したいとしても、司法の立場(冤罪を防ぎたいという観点)から確実な証拠による検証なしでは具体的なアクションを起こせないかも知れません。このような2つの組織の立場の違いを考慮すると、虐待という問題を扱う難しさや一見して、解決に必要以上に時間がかかっているように思えることにも一部説明がつくように思います。