jnobuyukiのブログ

研究していて困ったことやその解決に関するメモ。同じように困ったあなたのために。twitter ID: @j_nobuyuki

パスツールの象限(0):科学研究への期待

今回から、何回かに分けて、Stokesという人が1997年に書いた『パスツールの象限(Pasteur's Quadrant)』という本の内容を紹介します。
本を読んで考えたことは、既に
The empty cell in the quadrant model of scientific research in Stokes (1997). - jnobuyukiのブログ
で英語の記事となっています。どうぞリンクから記事に飛んでお読みください。でも、パスツールの象限に関する資料はほとんど英語で書かれており、日本語で書かれた資料がインターネット上で不足しています。そこで、日本語版を作ることにしました。そして、どうせ日本語で書くなら、もう少しゆっくり丁寧な記事にしようかと思います。今回は予告編です。

科学者とそうでない人との対話

最近、サイエンスカフェのように科学について、科学者に直接聞いてみようという趣旨のイベントが沢山開催されています。私自身も、科学を専門としない人へ自分の研究を説明する機会を何度も経験してきました。そういった経験は、とても楽しいですし、自らの考えを見直すいいきっかけにもなります。さて、今までの経験から、科学者とそうでない人の対話で最も典型的な対話を紹介しましょう。

ある科学者が、自らの研究に関するポスターを作成し、研究所を見学に来た人に研究内容を説明します。
科学者「私が行っている研究は…(省略)…というものです。」

見学に来た人「へー。そうなんですか。それでこの研究は、何に役立つんですか?」

科学者「この研究は、何か特定の問題の解決に役立つことを目的にしているわけではありません。でも、今回の知見を応用すれば…(省略)…という可能性もあるかもしれませんね。」

見学に来た人「…。へー。…。」

この例は、仮想的に考えて書いていますが、似たようなことがしょっちゅう起こります。*1最後に見学に来た人が無言になってしまい、明らかにミスコミュニケーションが起きています。この原因は、おそらく、科学者と見学に来た人とでは、科学に対するイメージに隔たりがあるためです。その隔たりとはおそらく以下のようなものです。

  • 見学に来た人:科学研究は、何かの役に立つためにやっている。
  • 科学者:科学研究は、必ず役に立たなければいけないものではない。

私としては、どちらの気持ちも多少分かります。見学に来た人からすれば、「わざわざ研究するからには、社会的に意味のある見返りがあるはず」と期待しているのでしょう。一方、科学者の中には、「社会的な見かえりや報酬を求めるような研究は、純粋性に欠けて、好かない」と考える人たちがいます。私は、この二つの立場は互いに意見を交換して、認めるべきところを認め合い、また、互いに歩み寄れるところは歩み寄るべきだと思っています。それが社会として科学を使いこなすことにつながると信じているからです。そして、どうやって歩み寄るかを考えるときに、次回から紹介する『パスツールの象限』の考え方が有効なように思えます。

まとめ:科学研究への期待

科学研究を行う目的の一つに「何かの役に立つこと」があります。でも、それを目的としない研究もあり得ると科学者たちは考えています。次回は、そのあたりを少し整理してみましょう。

*1:この質問は、見学に来てくれた人に研究内容が上手く伝わらなかったときに出る傾向があるのですが、ここではその問題をおいておきます。