jnobuyukiのブログ

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大学生への教育を教員による「知的なクローニング」と考えてみる

今回は、大学教育というか教育一般について思うことを書きます。

学生は何を学ぶんだろう?

近年、学生による能動的な学びを促す仕組みが含まれる教授法をアクティブラーニングと呼び、大学をはじめとする高等教育機関で試行錯誤が続いています。学生がぼーっと教授の話を聞くようないわゆる座学が授業だった時代ではもうないようです*1。教員の側も、この状況の変化についていけるように、何をすべきかを考えて、どんどん学ばなければなりません。安定した教授・学習の仕組みが良くも悪くも崩壊した今、改めて教育とは何かを考えるタイミングになったのかなと思っています。

学びの内容を統制できない問題をどうするのか?

アクティブラーニングは、学習者の能動的な学びを促すことに重きが置かれており、ある決められた知識の全てを学ぶことを保証していないように思います。講義で網羅的にコンテンツを取り上げたところで、どうせ全てを学び取れる人はそうそういません。だから、まぁアクティブラーニングになったところで実際に学ばれる内容の幅は変わらないかもしれない。ただ教える側にたってみると「何を学んでいるのかわからない」という状況が不安を呼びます。もしも学生たちがその場その場だけで活動するだけで何にも学んでいなかったらどうしようという気持ちになります。義務教育ではないんだし、何を学ぶか、学ばないかは個人の自由だと思われる方もいるかと思います。しかし、大学には「研究推進」という側面もあり、研究室所属の学生は貴重な共同研究者でもあります。学生に研究を任せられるだけの素養を養ってもらうことが質の高い研究体制の維持の前提となっています。

むしろ教員側がアクティブになったらどうなるか?

そこで、もっと教員がアクティブに指導する体制はどうなのかなと考えてみましょう。学生の自由な発想自体は尊重しますが、研究者である教員自身が研究の動向、難しさ、成功の見込みなどをどのように捉えているのかをオブラートに包むことなく学生に伝えてしまいます。さらに、自分が持っている知識・スキルを学生にオープンにして、教員がやらなくてもいい作業を増やしていく。教えるのに多少の時間はかかりますが、大学院生になれば腰を据えて研究に取り組んでくれる(と期待したい)ので、使った時間以上の進捗を示してくれる(これも期待したい)でしょう。一言でいうなら「知的なクローン」を作るイメージです。

完全なクローンにはならないがそれでよい

学生は、一人の教員だけにつくわけではないですし、自分自身の興味もあるでしょう。なので、完全なクローンにはならないことははっきりしています。しかし、そうであるからこそ、教員が気づかなかったことに気づくかもしれないし、良くも悪くもですが、突然変異的な研究が生まれてきます。

*1:もちろん全ての科目がアクティブラーニングというわけでもありません。また、座学による教授がもっとも効率がよい場合もあります