jnobuyukiのブログ

研究していて困ったことやその解決に関するメモ。同じように困ったあなたのために。twitter ID: @j_nobuyuki

調べてみたら予想と違ったときに思うこと

最近はずっとR言語に関するまとめが続いたので、たまには単純に考えたことを書きます。

予想が外れるのは「失敗」か?

研究に関する色々な過程の中でも一番楽しいのは、実験や調査によって収集したデータを解析し始める瞬間です。「ああかもしれない」「こうかもしれない」と色々な予想をしている時間やそれを確かめているときのわくわくする感じは(研究者の誰もがこうであるとは思いませんが)、この職業でよかったなと思います。

さて、実際にデータを解析してみたところ、最初の予測からちょっとずれているのはしばしばです。たまに「まったく違う」とか「なんと予測と逆」ということだってあります。一生懸命に考えたアイデアから演繹的に導かれた予測が外れたというのは、一見「失敗」に思えます。もちろん本当に失敗の場合もあります。例えば以下のような場合です。

  • 解析方法が妥当ではなかった
  • データに含まれるノイズ成分が大きすぎる(つまりデータ収集のレベルが低い)

予想が外れたからこそ思える「しめた」という感覚

上記のような「失敗」がないように思えるときでも予測は外れます。そういうときには、「しめた」と思います。(これも全ての研究者がそうであるとは思いませんが。)
なぜかというと、これは「まだ誰も知らない何か」にかすった感じがするからです。一般常識的なアイデアから予想した結果と実際に計測した結果が逆なんていうときにも「やった」と思います。皆が知っている世界からほんの半歩踏み出したような感覚です。

予測の精度が大事

もちろん「やった」と思う前段階として、とても精度の高い予測が必要です。それには、先行研究をたくさん調べなければいけません。簡単に作れるものではないからこそ、それを「壊す楽しみ」がある。(なんだか文にすると自虐的にも受け取れてしまいますね。)昔の偉い先生が考えた「反証できないものは科学ではない」という主張にも通じていると思います。