jnobuyukiのブログ

研究していて困ったことやその解決に関するメモ。同じように困ったあなたのために。twitter ID: @j_nobuyuki

盗用・剽窃はなぜいけないのか

今回は,最近,考えたことを書きます。

盗用と剽窃

例えば何か研究成果を発表するときに,他人の意見を自分の意見であるかのように述べること,他人のデータを自分のものであるかのように紹介すること。これらは盗用や剽窃と呼ばれます。学会,学校様々な場所で禁止されている行為です。私も禁止すべきだろうと思います。では,なぜ盗用がいけないのか?学会や学校が禁止しているからしない。それでも良いと思います。では,なぜ学会,学校は盗用・剽窃を禁止しているのでしょうか。
インターネット上でも多くの記事やブログで,盗用・剽窃が禁止される理由が考察されています。
剽窃はなぜダメか - ちしきよく。

このブログ記事では,「学問の発展に寄与しないから」「自分の身にならないから」という2点が指摘されています。その意見にも概ね賛成です。


今回は,上記では見られなかった理由を2つほど考えたのでメモ代わりに書きたいと思います。その2つは,どちらもコミュニティとして盗用・剽窃があるとどうなるのかを考えています。読みながら盗用・剽窃がある状況を想像してみてください。

学校が盗用・剽窃をなぜ禁止するのか?

学校(つまり教える側)が盗用・剽窃を禁止する理由の1つは評価の問題だと思います。レポートや論文で主張されている内容が,誰かの意見やデータであるとすれば,それを支えるだけの論拠を自分で持っていないことになります。それでは,レポートや論文の評価,つまり,単位を取得するだけの技能を身につけているのかを確かめることができません。評価(つまり技能習熟の保証)は学校の重要な機能の1つなので,このシステムが動かないのは大問題です。

知の共有にとってなぜ盗用と剽窃が良くないのか

次に,知の共有という観点から盗用・剽窃を考えてみましょう。例えばあなたが,論文やwikiなどなんらかの集合知につながる媒体(つまり研究フィールド)で気になる主張やデータを見つけたとします。詳しい話が聞きたければ,その人に直接質問すればよいわけです。これこそ科学コミュニケーションであり,学問の発展に役立ちます。つまり,主張を支える根拠やデータは,それがどこにあるかを示す目印が必要なのです。もしも自分で主張を支えるだけの根拠・データがなく,誰かの意見を無断でこっそり借りて主張をし,それが,引用という形で世に広まったら...。先程述べたような著者に直接質問するというコミュニケーションを通じた学問の発展が難しくなるでしょう。なぜなら,質問されてもその人はそれに答えられるかどうかわからない。つまり,確かな論拠やデータがどこにあるかわからなくなるからです。よって,研究フィールドにおける知の共有という観点から見れば,確実な論拠・データがどこにあるかわからなくさせるような盗用・剽窃はなんとしても避けたいのではないかと思います。

だから盗用・剽窃はやめましょう

今回は,学校や研究フィールドのようなコミュニティとしてなぜ盗用・剽窃を認めてはいけないのかを考えてみました。研究フィールドをまるごと破壊してしまう可能性もあるので,互いに気をつけたいところです。